10才のとき、アポロが月に行った。
ぼくはその夏、新聞やテレビにかじりつき、その快挙に興奮した。
小さな頃から、空を見上げるのが好きだった。
月を、星を、ずっと見て、そしてその月から星から、この地球を見ると
やはりこんなんなのだろうかと、想像した。
まだそのころの名古屋は、空は暗くて、いまよりずっと星がきれいだった。
そんな「月」に、ロケットがゆくのだ。
地球と月のスケールモデルを新聞で見て、そしてその距離感に驚いて
そこへゆく「冒険」に心、躍った。
その夏の自由研究は、「アポロ11号の軌跡」だった。
ぼくはその後、宇宙飛行士になりたいと思った。
小学校の先生にそのことを話すと、「もっと現実的な夢を見なさい」と言われた。
母親に、話すと、「日本人は宇宙飛行士にはなれないのよ」と真顔で言った。
そんな時代だった。
けっして、彼らのせいではなく、ぼくはいつか
そんな思いになったことすらしばらく忘れていた。
就職して、システムエンジニアという仕事についたとき
ある仕事に巡り合った。
あの、NASAのシステム開発チームが開発したシステムを
日本の企業に、日本バージョンにカスタマイズ開発をする仕事だった。
マニュアルはすべて英語、いんろんなQ&Aはすべて英語で電話!もしはtelexで、という環境。
まだ、電子メールなるもの、いやインターネットすらない時代だった。
その、システムは膨大なもので、深く知れば知るほど
驚きの連続だった。
アルゴリズムも、データーのストリームデザインも、思いもつかない奇抜さ
複雑さで、やはりNASAか!と、感心しきり。
寝る間も惜しんで向き合った数年間だった。
月にゆく弾道計算と、その仕事のアルゴリズムがどこかでつながっている気がして
ぼくは嬉しかった。
コンピューターの仕事が、会計計算だけでなく、そんな夢を担っているのを実感して
自分の仕事が誇らしかった。
起業しよう・・・26才のとき、その気持ちの延長で決断した。
今でも、ぼくは夜の空を見上げるのが好きだ。
ぼくは宇宙飛行士にはなれなかったけれど、昔、今の息子の年齢と同じころ
なりたいと思ったその自分が愛おしい。
息子に、よく、将来、何になりたいかと聞く。
決まって、パパは?と聞かれ、ぼくいは迷いもなく答える。
残念だった・・・とも。
好きなコミックがある。
「宇宙兄弟」
これは面白い。
来年、映画化されるそうだ。
楽しみでしかたない。