<   2009年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

区切りの日

気がつけば、もう半世紀も生きていました。
昔、人間の寿命はぼくの年齢よりもはるかに短かかった。
それを思えば、ずいぶん「長生き」したものです。
若かりし頃、自分の青さゆえ命を何度か落としかけた。
それでも生き延びたのは、何か理由があるのだと、最近よく思うようになりました。

自分の年齢にほぼ近い人が、最近よく亡くなると感じます。
マイケルジャクソンはほぼ同い年、忌野清志郎さんも近い年齢です。
ぼくよりも若い友人が、ここ五年の間に何人か旅立っています。
ぼくは人間の「生」と「死」の挟間の年齢に立っていると、感じたりします。
ここを生きのびれば、まだ先はしばらくあるけれど、体や心はひとつの大きな節目に
あることを実感します。

50歳、いままでの人生・・・・・・・。
振り返ってもしかたがないけれど、いろんな経験をさせてもらった「とき」でした。
多分一般的な人よりも、好き勝手に生きることを許してもらったような気がします。
ぼくは自分では成長して、進歩しているような錯覚に、あるときまで陥っていましたが
実際は幼いころからさほど進歩も成長もしておらず
50歳が近づくほどに「自分は幼い時のままだな・・」と強く思ってきました。
思考のパターンは、驚くほど変わっていません。
人間は「あるとき」を境に、子供に帰ってゆく、そして死んでゆくのではないかと
思うほどです。

でも・・・・たぶんぼくは、今が一番幸せです。
50年生きて、しょぼい人生ではありますが、今が一番幸せだなぁ・・・と思います。

ぼくは今日、別に特別でもなく、いつものように海に向かっていました。
海のスクールの仕事があったのです。
ぼくは海に向かう車の中で、ついつい中島みゆきのうたを口ずさみました。
そしてどうしてもそれを、彼女の声で聴きたくなって、車の中をcdを探しまくりました。
息子や、娘が生まれたとき、ぼくはこのうたを聴き、涙を流しました。
今日は、これを自分に置き換えて、聴いていました。


・・・・・・・・・・・・・・・
ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたい誰かを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも愛してる意味

Remenber 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome
Remenber けれどもしも思い出せないなら
私いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome

・・・・・・・・・・・・・・
中島みゆき 「誕生」から

ぼくはぼくのために、この歌を聴き
ぼくのために口ずさみ
そして少し、目頭が熱くなりました・・・・・。
ここまで、生きてこれたことに感謝です。
いや、この世に生まれてきたことに、まず感謝です。
ぼくは今、今までで一番幸せだけれど
この先、またなにかの節目で振り返ったとき
同じようにその時が、一番であるように、生きてゆきたいです。

海は梅雨空でしたが、心地よい南西の風がわたりました。
ぼくはスクールが終わり、生徒さんを送りだしてからもなお、しばらく
静かな気持ちで、海を見ていました・・・・・・・・。

by hwindlife | 2009-06-29 22:37 | 好きなこと大切なこと  

「こちらがわ」へようこそ!

最近の週末は、ほとんどカイトボーディングかウィンドサーフィンのスクールです。
ありがたいことに、昨年からのリピーターも何人かいて、「仲間」が増えたような気持ちになり
嬉しいかぎりです。
そんなわけで、ぼくは風が強くても弱くても、ずっと海の中を駆けずり回っているから
恐ろしいほどに「真っ黒」なやつになってしまいました・・・・・・。

生徒さんをマリーナの入口で待つとき、ぼくは相手がわかりませんが
向こうは異常に黒いぼくを、きっとこいつが「そいつ」に違いないと声をかけてくれます。
マリーナという、日焼けしたやつが多い中でも、ぼくは特別です。
少し老後の病気が怖いくらい、太陽と仲良しです。

カイトにしろ、ウィンドにしろ、その「動き」を伝えるのはとても難しいものです。
ただ、その「魅力」を伝えるのは意外と容易です。
まず、スクールに来てくださっているのだから、その方は「前向き」です。
いつか、なにかのスポーツなどで「パキーン」と恍惚の「ゾーン」にいっちゃったことのある人は
このスポーツの魅力を、そんなに言葉を重ねなくても感じてもらえます。
そんな彼には既に、このスポーツに嵌る素質が多分にあります。

ぼくの「役割」は、その魅力を伝えて、技術をマスターする気にさせて
そしてそれをお手伝いして、「こちらがわ」の世界に呼び込むことです。
でも「こちらがわ」の世界に来てくれる人、来るチャンスのある人、来る素質がある人は
実はとても限られた「ひと」なのです。
スクールしたすべての人が、「こちらがわ」に来られるわけではけしてありません。
やる気が満々でも、ダメな場合だってあります。
ちょっと、興味があるから・・・とか、テレビで見たからとか・・・とか、できるようになると
女の子にもてるから・・・・なんて動機だけでは、カイトボーディングは少しできるようになっても
「こちらがわ」に来ることはできません。
だれしもが、「こちらがわ」に来たいなどと思ってないことも事実です。
ちょっとした趣味でいいんです・・・・。
ちょっと休みを楽しめればいいんです・・・・。
顔にそう書いてある生徒さんが、実はほとんどです。
それはそれで、いいのです。

「こちらがわ」の人たちは、それを自分の人生の大切なスタイルの「軸」にしていて
普通の人生の価値観を覆してしまって、一見、社会からドロップしているかのように見られがちですが
実は本人はとても幸せです。
ぼくは自分の役割として「こちらがわ」へみなさんをご案内するためにも
自分がちゃんと「あっち」にいってしまわないように、自分を高めていかねばなりません。
ぼくは「こっち」にいたいのだし、「あっち」では息苦しくて生きていく自信もないのですが・・・・。

「こっち」と「あっち」の境界線は曖昧ですが、「こっち」は明らかにマイノリティーであることは
確実です。
だから理解されにくい・・・。
でもいいんです。
どうせ、マイノリティー、いやマイノリティーだからこそ、そこにいる意味があるとすら思うのです。
でも・・・・そこへご招待することが、ぼくの役割です。
カイトができる、ウィンドができる、そんな技術伝達だけで終わりたくないんです。
ほんの限られたひとしか、来られないとしても、ぼくは「こちらがわ」への案内を
続けてゆきたいと思います。

ときに、自分がしていることがあまりに「マイノリティー」で、自信がなくなることがあります。
自分の思う、目指すところが、実は大きな自分勝手な勘違いなのではないかと
思って凹むこともあります。
でも、これがぼくの「生き方」です。
自分のやりかけの「未来」を、ずっと目指して続けながら、模索して、悩んで
続けていけばいいのでしょう。

ミスチルの桜井さんのうたが、心に沁みます。

・・・・・・・・・・
何度でも 何度でも
ぼくは生まれ変わって行ける
そうだ まだやりかけの未来がある

(「蘇生」より)

by hwindlife | 2009-06-18 23:05 | 好きなこと大切なこと  

「にじ」

今日、土曜日の午前中。
子供たちの保育園の参観日でした。
ぼくは息子の教室へ。
工作したり、歌を歌ったり・・・・。
子供たちは親がすぐ傍にいる状況に、少し興奮ぎみでテンションが高かった。
そこで子供たちが合唱したした歌。「にじ」。
これがとてもいい歌で、詩がとてもよくて、子供たちが歌う声に感動しました。
息子の横に座り、息子の声でこの歌を聴いていたら、涙が出そうになり
ぼくは少し焦りました。
その「場景」が目に浮かぶような詩で、深くて素直で、とても好きになりました。

夜、息子が眠る前、あのうた、いい歌だったね・・・・と言うとまた歌ってくれました。
やはりいい歌です。
ぼくも静かに、口ずさみたくなりました。

  庭のシャベルが 一日ぬれて
  雨が上がって くしゃみをひとつ

  雲が流れて 光がさして
  見上げてみれば ラララ
  にじがにじが 空にかかって
  きみのきみの 気分も晴れて
  きっと明日は いい天気
  きっと明日は いい天気

  洗濯物が いちにちぬれて
  風に吹かれて くしゃみをひとつ

  雲が流れて 光がさして
  見上げてみれば ラララ
  にじがにじが 空にかかって
  きみのきみの 気分も晴れて
  きっと明日は いい天気
  きっと明日は いい天気

  あの子の遠足 いちにちのびて
  涙かわいて くしゃみをひとつ

  雲が流れて 光がさして
  見上げてみれば ラララ
  にじがにじが 空にかかって
  きみのきみの 気分も晴れて
  きっと明日は いい天気
  きっと明日は いい天気

今日の午前は、成長した息子を感じた「時間」でした。
午後、ぼくは風が吹いてきたので海に入りましたが
その「うた」はずっと心の中をリフレインしていました。

by hwindlife | 2009-06-06 23:19 | 息子とのこと  

「チビすけ」の家出

我が家には、現在八匹の猫がいます。
少し前までは、10匹の猫と大型犬一匹の、大所帯でした。
まあ、今もそんなに変わりませんけどね・・・・・・。
猫たちは一匹を除いて、みんな血が繋がっています。
その「元祖」とも言うべき母猫は「かーちゃん」という名前です。
そしてその長男は「チビすけ」。
そもそも、この二匹が庭に侵入してきて、そこにその兄弟を「かーちゃん」が出産したことから
このたくさんの「家族」を引き取ることになりました。
結構ずうずうしく、計算だかい「かーちゃん」です。
その時、まだ「チビすけ」はその前の出産で生まれた一年未満の、まだ子供で
ノラだったこともあり、小さかった。
だから「チビすけ」と名づけました。
10年以上たった今では、あのときの面影などまったくないほど、体格のいいでっかい猫です。
こやつは、この八匹の猫家族の「ボス」気取りで、結構ぼくに口答えします。
玄関で靴の上に座っていたりするものだから、大きな声で
「どけ!チビすけ!靴に座るな!」
と怒鳴ると、やつはキッと睨んで
「にゃーぁぁぁーー!!」と大きな声で言い返します。
それでいてドジな猫で、猫のくせに階段の上の梁から落ちたり
閉まりかけの扉に突入して挟まって痛い思いをしたりしています。
「バカ」ですが、なんだか憎めないやつでもあります。

そんな「チビすけ」が家出をしました。
ぼくが玄関を開けっ放しにしたのがいけないのですが、三匹の猫が外に逃げ出しました。
そのうちの二匹、アオとクロは外で暮らしたことがないので、すぐに戻ってきました。
でもチビすけは、影も形も見えませんでした・・・・・・・。

実はこんな家出はこれで二回目です。
最初の時は、何でも屋さんを雇って捜索し、その人が持ってきた巨大ネズミ捕りのようなもので
捕獲しました。
ご近所には大変ご迷惑をかけました。
今回は・・・・・もうほっとこうと思っていました。
やつも10年以上生きて、違う生き方をしたいもかもしれない。
もっと自由に、生きたいかもしれない・・・・。
でも「バカ」だから帰りたくても帰れなくなってるかもなぁ。
そうならなんだか可哀そうだし・・・・・。
そう思っているうちに一週間過ぎていきました。

その間、同居の猫の挙動が少し変でした。
みんななぜが随分と静かなのです。
チビすけが大好きなミズなんて、玄関まで何度も様子を見にきていました。
猫なりに、家族として心配していたのかもしれません。

一週間経ちました。
夜中、11時すぎ、ひょっこりと玄関前に姿を現し、やつは帰ってきました。
やつれて、ずいぶん痩せていました。
きっと飲まず食わずの一週間だったのでしょう。
それからチビすけは「猫」が変わったかのように、人間にすり寄ってくるようになりました。
声もなんっだか少し変わっています。
あの口答えしたダミ声ではなく、かわいらしい声でなきます。
結構辛い経験だったんだな・・・・・・。
帰ってきてよかった・・・と思いながら、たまにはこんな厳しさを味合わないと
日頃の幸せがわからないよな・・・なんて心の中で笑いながら思うぼくでした。

どうだ、チビすけ!少しは懲りただろう!

by hwindlife | 2009-06-04 23:02 | 家族のこと