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どう・・・最近・・。

どう・・・・最近・・・。
なんだかずいぶん、久しぶりのような気がするなぁ。
何見てるんだよ。
髪・・・?薄くなったかな・・・。
え・・?白い?もうずっと前からからだよ。
君が生まれた頃だって、ほんとうはずいぶん白くなってたんだ。
美容院でカラーしてたんだよ。
ぼく?
変わらないよ・・・いやほんとうはちょっと、ショボイかな・・。
でも元気だよ。
海にだって時折行ってる。
昔みたいに強い風の日は出られやしないけどね。
元気さ・・・・。
でもちょっと、寂しいさ。
もちろん・・・・。

どう・・・最近・・・。
ほんと、久しぶりだよ。
ちゃんと勉強してる?
友達は?
ボーイフレンドは?
質問ばかりは・・・・・よくないね。
元気なら、それでいい・・・・・。
ぼく?
ぼくか・・・・ほんとは寂しいさ。
笑って言うけどね。
でも心配いらない。
君の顔見たら元気になったよ。
またいつか、昔のように一緒にヨットで海に出たいな。
付き合えよ・・・。
いや・・・時間があればね・・・。


昨晩、夢を見ました。
それは多分、昨日繰り返し聞いていたある「歌」の影響です。
遠く離れて暮らす大人になりかけの娘が、久しぶりに帰ってきた。
アメリカ?ハワイ?
そして二人で車で出かけていく途中です。
なんだか娘がぼくを気遣う雰囲気が、強く伝わってきました。
ぼくは久しぶりに会えて嬉しいけど、できるだけ平静を装っています・・・・。
娘はきっと綺麗になっていて、ぼくは直視できずに、どんな顔をしていたのか
それは夢だからなのか、わからないままでした・・・・。

まあ、そんなシチュエーションが未来にもし起こるとしても最低15年は先です。
それに少し安堵しながらも、元気でいたいな・・・心底思います。
お風呂上りの小さな娘を抱き、まじまじと娘の顔を見つめながら
昨晩の夢を思い出していました。

あとほんの一週間で娘は一歳になります。
早く、重い、それでいて長かった・・・・そんな一年でした。

by hwindlife | 2008-01-31 22:38 | 家族のこと  

人生の航海

真の人生の航海とは
新しい世界を
探し求めるばかりではなく
自分自身の世界を
濁りのない目で
見つめることにある


「何か」を見つけたたくて、遠くへ、ずっと遠くへ、まだ見ぬところへ
遥かな旅をしたとしても
きっとそこには
何も無い。
ただ、小さなヨットのようなもので、あの想像を絶する怖ろしげな海をゆけば
目的の場所にたどり着くころにはきっと、新しい自分をみつけているはずだ。
シンプルな日々に長く身を置けば、きっと自分の「自然」はみえる。
新しい自分は、新しい場所ではもちろんのこと
住み慣れたふるさとに帰ったとしても
その風景は違って見える。

人は手放せるものの数に比して
豊かになる・・・といわれる。
そしてその手放せるもの、そのものも、実は「物」だけでなく「思い」「観念」・・・
それが真実かもしれない。

ほんとの自分を探す旅・・・・・。
ぼくだけでなく、多くの人が旅の途中なはずだと・・・・・・。

by hwindlife | 2008-01-30 00:18 | 好きなこと大切なこと  

大切なことば

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「過去に囚われ過ぎず、未来に夢を見過ぎない
現在は点でなく、永遠に続いているものだ、と悟った。
ぼくは、過去を蘇らせるのではなく、未来に期待するだけではなく
現在を響かせなければならないのだ・・・・」
(冷静と情熱のあいだ 辻仁政著 より)

ぼくはこのフレーズが好きです。
ぼくの場合は未来へ対する不安や過去に対する後悔によって、「現在」をおろそかにする
そんな「くせ」があるからです。
未来に憂いて、今このときがその不安に占められてしまったら
ぼくは人生の大切な今という「とき」を失うことになります。

ぼくは「今このとき」、少なくとも「今日」を輝き響かせる時間にするために
最大限に自分の心をそこに傾けるべきです。
その積み重ねの先以外に、未来は在りえようがないわけですから・・・・・。

今日という日が終わろうとしているこの時間。
ぼくは今日を振り返る。
今日はぼくの心は響いたか・・・・。
ぼくらしい時間を積み重ねたか・・・・。
いい日・・・だったか・・・。

明日、ぼくの命が終わっても、満足してそれを甘受できるように
「とき」を積み重ねたいものだと思う。

夕方、夕日を見ていたら少しもの哀しくなっちゃったけど
冒頭の言葉を思い出したら、まだ今日は終わってないし・・・と思い返し
そうしたら少し元気になって、いつもの「日曜症候群」の症状も和らいだのでした・・・・。

by hwindlife | 2008-01-27 23:56 | 好きなこと大切なこと  

怪我したカモメ

あるビーチにて・・・。
ぼくはカイトで海にでるため、ビーチを下見していました。
風の向き、潮の状態、カイトをセッティングするための砂浜。
風の強さを測るため海岸の中ほどにある海に突き出た石の堤防の先まで行ってみました。
その堤防の中ほど、斜めの石積みの上に目がとまりました。
いや・・・そこにいるものと目が合いました。
ぼくは歩みを止めました。
カモメ・・・・。
じっと座って、こちらを見ています。
なんか変・・・・・。
そうだ、片方の羽がおかしい。
折れている感じです。
少しぼくは近づきました。
動かないけれどあきらかに警戒した様子。
でも動けない。
目は「こっちにこないで・・・」そんな感じです。
どうしたらいいだろう・・・・。
捕獲して獣医に連れていくにも、きっとそれは「自然」じゃなくて、なにより捕獲することだって
難しい
ぼくは何もしてあげられない。
ぼくは、情けないけれど、見なかったことにして背中を向けて堤防から離れました。
あの目が気になって・・・・。
ぼくはしばらく考えた末、そこでカイトをするのをやめました。
なんだか苦しくなってしまったからです。

動物が「生き死に」する場面が苦手です。
そんなの得意のひとなんていないでしょうけれど・・・・。
テレビの番組でライオンが鹿を追い詰めるシーンだって、見ていられません。
弱肉強食、食物連鎖・・・そう理解していても、やはりだめです。
そのくせ、ぼくは肉だって魚だって食べます。
けっして、自分で捕獲して食したりはできませんが・・・。
それは一番、無責任で卑怯かもしれません。
誰かがどこかで殺生している部分に甘え、ぼくは目をつぶっています。
自分でそうしなければいけないとなれば、迷わずベジタリアンになるのですが・・・・。

昔、さくらと公園で散歩中、ダンボールに入れら子猫が捨てられていました。
これはまずい・・・と感じました。
そちらへ行こうとするさくらを引っ張って、急いで家へ帰りました。
見なかったこと・・・・・でもそうは行きませんでした。
結局、しばらく悩み苦しんだ後、ぼくはダンボールごと子猫を連れて帰りました。
病気持ちだった子猫たちは、そう長くは生きることはできませんでした。
その中でも一番長生きした「プリン」という子猫。
この子が亡くなったとき、ぼくは自分の涙がこんなに出ることに驚くほど、泣きました・・・・。
その後・・・・・いろんな経緯があって、たいして猫好きでもないのに、ぼくの家には10匹の
猫達が暮らしています。

ほんとうは「アース」という映画が見たくてたまりません。
でも、きっとその中に、環境変化に苦しむシロクマやシャチに食べられるアザラシなども
映されているでしょう。
だからなんだか、躊躇っています。

目をそむけたところで、事実は変わりません。
見なかったことにしよう・・・・と思った瞬間から、もうそれは自分の深いところにとどまります。
でも直視すれば、苦しくなります・・・・。

さて、どうしたものやら・・・・・。

寒波が日本を襲っています。
あのカモメはどうしちゃったかな・・・・・・。

by hwindlife | 2008-01-25 22:16 | 自然について  

鳥の翼を手に入れる・・・

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注文していた新しいカイトがやってきました。
2008年モデルのナッシュの「カルト」12㎡。
ぼくはこのモデルを昨年の秋、オアフのカイルアビーチで目撃しました。
一目見ただけで、今までのカイトとは異なる形状をしています。
リーディングエッジ部分(カイトの前の部分)が、今までは半円状だったのが
∑の形をしているのです。
なんだか「自然」じゃないな・・・・・それが第一印象でした。
それでもカイルアでのそのカイトサーファーは、ガスティーな風の中も実にスムーズに
海のうえをはしっていました。

ぼくは迷っていました。
今使っているモデルも新しいもので、自分の技量には充分です。
でも、その新たなモデルの「コンセプト」をネットで知ると、それに強く感動したのです。
使ってみたい・・・・そう強く思いました。
ぼくはアナログな人間ですが、新しい論理やコンセプトが込められた「道具」も
ほんとうは好きです。
随分昔、ボードやセールを開発してたときの思いがうずきます。

年を越してそれは到着しました。
少し弱い風のビーチであげてみると・・・・確かに安定しています。
それがその得意な∑型の形状にあるのは、論理的にわかります。
なぜなら・・・・カイトをあげてそれを下から見ると・・・・それは「鳥の翼」なのです。
それも鷹とか鷲とか、スピードをあげて飛ぶ大型の鳥の翼の形状。
肘の部分が飛び出していて、そこから羽の先端に向けては飛行機の翼のようです。
実に不自然に見えたたその形状は、実際それを自分が揚げて下から見れば
実に自然な形状だったのです。
自然がもつ「形」は、それなりの意味があります。
気の遠くなるほどの長い時間をかけて、そこにたどり着いたのです。
人は、やはり自然から学ぶのが大切なのだとあらためて思います。

走りは実にスムーズ。
ほんの一瞬の試し乗りでしたが、その形状の効果が確かにわかる変化でした。

「鳥の翼」を手に入れたぼくは、今年、しっかりと海の上を羽ばたけるでしょうか・・・・。

by hwindlife | 2008-01-22 23:27 | カイトボーディング  

ビビるんじゃねえぞ・・・・

ぼくが「スキマ・・・」の「全力少年」や「ガラナ」が好きなのは、少年であり続けたいという「決意」を
いつも思いださせてくれて、元気になれるからです。。
そしてもうひとつ、とても親近感のある、ひとつのフレーズがあるからです。

「ビビるんじゃねえぞ・・・・」

ずっと若いころから、ぼくはこのフレーズを自分に対してつぶやいてきました。
そう呟いたシーンのいくつかは、今でもその場面にいるように思い出すことができます。
それは、そう呟いた、いや呟かざるおえなかったシチュエーションが、いつもとくに
厳しかったからなのかもしれません。

厳冬期2月の錫杖岳V字岸壁。
背中に穂高の峰がそびえるこの垂直300Mの岸壁は、標高こそ3000Mに満たないけれど
傾斜がずっと垂直できつく、技術的に難しいのが特徴でした。
その真ん中に存在する「V字壁ルート」は、一際傾斜も強く、威圧的です。
ぼくはその中間地点、取り付きから5ピッチ目の小さなテラスにいました。
垂直なのに、壁は雪で白い。
テラスの左は一ルンゼと呼ばれる急峻な凹上の壁。
そこを随分と上部からスノーシャワーがある間隔で落ちてきます。
そのたび周りは真っ白な雪煙に覆われ、ぼくの視界も閉ざされます。
少し疲れていました。
そしてテラスから見上げるこれからの難しいピッチに、少し萎縮していました・・・。

もう4日目。
壁の基部にある岩小屋まで二日かかりました。
そこからこのルートの取り取り付きまでもう一日。
ルートの基部までラッセルしてまた岩小屋に戻ったとき、ぼくはやめる言い訳を探していました。
単独の冬の登攀だから、誰も見ているわけではありません。
だからやめたって平気・・・・いや平気じゃないんです。
自分が自分を許せない・・・。
でもいつだってそうなのです。
自分の迷いとの葛藤、それがぼくの単独登攀の多くを占めるのです。
ぼくは葛藤しながら、少しだけ前に進む自分が勝って、そして次に迷う場面までは進むのでした。

5ピッチ目のテラス。1M四方の今このあたりで唯一安全な場所。
ここからルートはオーバーハングした壁を越えて、右へトラバースするように進みます。
トラバース(横へ壁を横断するように進むこと)していくと、もう戻ることが難しくなります。
何かがあって、退却するにも、退却のほうが難しくなるのです。
ぼくはポケットから行動食のナッツとレーズンを口に放り込んで背中の穂高を振り返りました。
天気はずっと悪くなって、見えてると思っていた山々は雲の中でした。
再び白い壁を見上げ、グローブを一度はずして指をマッサージしました。
ずっとやめる言い訳ばかり頭の中で探していた自分に、少し辟易しました。
結局は・・・・ゆくのです。
ぼくはヘルメットを締めなおし、小さく声に出して呟きました。
「ビビるんじゃねえぞ・・・・」

そこから壁を抜けるまで12時間、加えてP2のピークまでの不安定なラッセルに苦しみ
結局はあのテラスから二日以上かかって、やっと思いで岩小屋へ帰ってきました。
確かにあのとき、ぼくはビビっていました。
ひょっとすると、この登攀を決めたときからそうだったのかもしれません。
なのにどうして、そんなところにゆくのか・・・・・。
今になってすらそれは難解ですが、多分きっと、あの言い訳を探し自問自答する中に
自分を探している「実感」があったからです。
あんな場面だからこそ露見する裸の自分。
弱気で悲観的で後ろ向きで情けない自分が現れ、そして問答して苦しみ
なんとか最後に自分を信じて励まして前に進む。
そんなプロセスを重ねることが自分には必要でなのだと・・・・そう感じていたかもしれません。
弱い自分から決別するとき、自分を信じて呟くことば・・・。

「ビビるんじゃねえぞ・・・・」

一際大きな波にウィンドサーフィンでのぞむとき。
強い風の荒れた海にカイトで出るとき。
急峻な転んだらオシマイのガリーにスキーで飛び込むとき。
先の見えない真っ暗な、ビルほどの波の谷間へヨットで進むとき。
ビジネスの大きな「賭け」に、自分を信じてのぞむとき・・・・・・・。

「ビビるんじゃねえぞ・・・・」
ぼくはぼくに呟きながら、つぶされそうになるプレッシャーにほんの少しだけ打ち勝つ勇気を
思い起こすのです。
これからもずっと・・・・。

by hwindlife | 2008-01-20 23:00 | 好きなこと大切なこと  

パパと息子の遊び方

      

風の吹かない週末、海にいかないときにはあの「公園」にいくのが常です。
ぼくにとってのあの「公園」は幼い頃の思いがいっぱい詰まった、少年時代そのもののような
そんな場所です。
その頃住んでいたおうちから、子供の足では30分以上、いやもっとかかったかもしれません。
それでもそこへ両親と弟と、ゆっくりと歩きながら何度も何度も行ったものです。
ときには友達とそこへゆき、森の中で一日中遊んでいました。
そのころそこには遊具などほとんどなく、ぼくたちは工夫して遊びを創りだしていました。

落ち葉の急斜面をダンボールで滑り降りたり、森の中の大きな木から垂れるツルを束ねて
ブランコにしたり・・・。
秘密基地もあちらことらに作りました。
アケビを取って食べたり、シイの実を食べたり・・・。
一周すれば5kmを超える大きな公園です。それも小高い山を取り囲むような森なのです。
ぼくたちにとってその公園は、ワンダーランドだったのです。
ずっとそこにいても、けして飽きることなどなく、帰りはいつも夕暮れでした。
いつか、ぼくは友達のお父さんの運転する耕運機の後ろの荷台に乗せてもらって
その公園へ連れていってもらったことがあります。
畑の中の道がずっとその公園まで続いていました。
友達とぼくは荷台のわらの上で、うたを歌い、笑い転げていました。
ぼくはその記憶を心の奥から思い起こすとき、なんともいえない暖かな気持ちになります。
少年のぼくと友達。
畑がずっと続く、自然いっぱいのぼくのふるさと。
素敵な大切な思い出です。

そんな公園で今、ぼくは息子と遊んでいます。
できれば遊具などではなく、自然と接するような遊びを一緒に創りたい。
そんな想いで、いろんなことをしてみます。

落ち葉ソリ。
これは定番です。
昔はダンボールでしたが、ぼくと息子は古いサーフボードをそこへ持ち込みました。
落ち葉の急な斜面をサーフボードで滑り降ります。
落ち葉は深いところでは息子がすっぽりと埋まってしまうほど。
木々の間をくぐりぬけて、落ち葉をけちらして滑ります。
なんだか、少年のココロが騒ぎます。
息子は満面の笑顔で楽しんでいます。
何度も何度も、滑ってはのぼり、斜面を変えては滑ってまたのぼり・・・・。
エネルギーが完全に切れるまで、遊んでしまうのでした。

ロープ・ブランコ。
大きな木にクライミング用のロープをわたし、それでブランコを作ります。
昔、木のツルで遊んだあの遊びです。
自然の森の中、勢いよくゆれるブランコは楽しい。
このロープ遊びはバリエーションが多く楽しめます。
木から木へロープをわたしロープすべりをしたり、ツリークライミングをしたり・・・。

自転車。
この公園の周回道路は5kmほどあり、アップダウンのある森の中の道です。
息子はまだ側輪なしでの乗り始めなので、まだその周回道路は走れません。
今しばらく、この公園の園内道路で練習して、そして近いうちにはその道を走りたい。
ぼくは時折、息子と娘を自転車用のトレーラーに乗せてここを走ります。
少しだけ、サイクリングの気持ちを共有した気になります。
昨年のハワイのセンチュリーライドの練習も、トレーラーを引いてここで行いました。

自然の中で遊ぶとき、そこに大人も子供もありません。
ひとの感性がクローズアップされて、みんな楽しさや面白さや美しさなどを共有できるのです。
「なんかいい木のにおいがするーー」
「木のあいだから入ってくるたいようの光がきれだねぇー」
「風がはっぱをゆらしてる音がするよー」
みんな、息子の言葉です。
その言葉すべてに、そうだね、そうだねって共感します。
同じ緑でもいろんな緑があるってこと。
木はそれぞれにいろんな匂いがあるってこと。
木の実が落ちている、意味。
遊びながらいろんなことを、学ぶこともできるです。
それは大人も、同じです。

ある日、ぼくはこの森をトレールランニングしていました。
森の木々のアーチを抜けるところにきたとき、木漏れ日があまりにキラキラと美しく
思わず足を止めて仰ぎみました。
この森で40年も遊ばせてもらっていることに、感謝でいっぱいになりました。
そして・・・・両親のことを思い出しました。

両親は、よくここの公園へ幼いぼくと弟を連れて来てくれました。
車はなかったから、歩きです。
ゆっくりと家族4人で時間をかけて歩いていきます。
途中、花を摘んだり、珍しい木々を採ったりしながら、そこへ向かいます。
その公園では、同じようにソリ遊びをしたり、森を徘徊したり・・・・。
ぼくはそのときの両親の気持ちを想像すると、胸が詰まります。
きっと、今のぼくと同じような気持ちで、ここへ来てぼくたちと遊んだのでしょう。
一緒にいて、一緒に感じて、一緒に学ぶ。
両親の子供への強い想いを、今のぼくはわかります。
ありがとう・・・ぼくにはしっかり伝わっています。
そしてぼくは、あなたたちがしてくれたように、息子達に伝えていくつもりです。
きっとずっと時間がたって・・・・・・そのときも、息子の息子が、また同じように伝えているはずです。
安心してください・・・・。

ぼくはまだまだ、この公園で、息子との遊び方を創っていくつもりです。

by hwindlife | 2008-01-18 00:26 | 息子とのこと  

カイロプラクティック

少し前から「カイロプラクティック」に通いはじめています。
昨年来の首の付け根部分の痛みのためです。
もともと肩こりではありましたが、最近のその痛みは少し異常です。

人間ドックでのこと・・・・。
首の付け根の超音波検査ではひどい血栓のような状況であると診断。
その後、それが脳に関係あるかもしれないとMRIへ・・・。
これがぼくにとって大問題。
実は極度の「閉所恐怖症」。
MRIの中が息苦しく、どうしても動いてしまう。
そのうち緊張で、呼吸も苦しい・・・。
結局、中止。
なんだか恥ずかしいし、情けない。
知り合いのドクターに相談すると「強い睡眠導入剤で眠っちゃうか、全身麻酔だな~」などと・・。
紆余曲折の後、結局いまだ原因不明。

若き頃、クライミングの墜落で骨盤を痛めたり骨折したりしているから決して無傷ではありません。
古傷が痛む・・・というのはこういうことでしょうか。
それにしても痛い。
なんでも試してみる価値はあると思い「カイロプラクティック」へ。
その処方はいつかトレーニングのパーソナル・トレーナーをお願いしていたとき
トレーナーがトレーニング後のストレッチをかねてしてくれたことと酷似していました。
トレーナーがぼくに言ったことと同じことを、その担当してくれた若い先生は言いました。

「体の左右のバランスがかなり崩れてますね・・・」

ぼくは弱い部位をカバーするために、使いやすい筋肉だけが発達して、体の使い方そのものも
それを補う歪な動きになっているのです。
それが筋肉の衰えとともに、カバーしきれなくなり、どこかに歪む・・・。
それがどうも「首」らしい。

効果は・・・・まだわかりません。
でも、自分の「痛み」の構造を理解したら少し気が楽になりました。
しばらくの間、通ってみようと思います。

「ヨガ」はとても有効であるとその先生は言いました。
ずいぶんと長く、ヨガからも離れてしまっています。
静かに呼吸をして、瞑想してみます。
よい姿勢とよい呼吸は、ぼくには大切です。

足首や膝、鼻や腰。
6箇所に及ぶ骨折の古傷をやさしく撫ぜながら、ぼくはゆっくりと目をつぶり呼吸を続けます。
これからまだしばらく、この体はがんばってもらわねばなりません。
ぼくが自然と対峙するために、息子や娘にとって元気な父親であるために。
そしてぼくがぼくであるために・・・・・。

by hwindlife | 2008-01-16 22:57 | 好きなこと大切なこと  

焚き火越しに見る海・・・・

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土曜日、海の友人二人といつものビーチにいました。
思ったとおりの強風。
そしてそれは冷たい・・・・。
でも青空。
空が晴れわたって、海は光に満ちて、気持ちもとても前向きになります。
ぼくたちは早速カイトをセットし、逸る心を抑えながらも海に出ました。

こんな気持ちを最後に味わったのはいつだったでしょうか。
踊る心、不安などなく、あくまで前向き。
今まで強いブローが入ると、不安が先立ち、そのパワーを逃がしてそれが行過ぎるの待っていました。
今日のぼくは、そのブローを待っています。
ブローが入れば、バーを引きつけカイトを振って飛ぶ。
その先のことは、その先に考えます・・・・というかなんとかなるような気がしています。
ずいぶんとブッ飛んで、そして海の上に叩きつけられる。
冷たい海水が首あたりから体に入り、今、冬の海に入っていることを思い出しますが
ぼくは笑っています(きっと・・・)。
心の中で・・・・もういっかい・・・・もういっかい・・・。
冷たさで指の感覚が無くなってしまうけれど、それでも指を口の中に入れて暖めて
ぼくは海の上をはしり、飛び、叩き付けられ、笑っていました・・・・。

しばらくしてやっとビーチにあがり、友人が炊いた「焚き火」にあたっていました。
焚き火越しに、沖でまだはしっているもう一人の友人を眺めていました。
ぼくはとても満足した気持ちと、そして寛いだ気持ちに満たされていました。
寒いはずなのに、気持ちは暖かく、ここが真冬の日本であることを忘れました。
ずっと焚き火に枯れ木をくべながら、海と友人を見ていました。
ぼくはずっとずっと前、こんな光景をどこかで見たことがあるような気持ちでした。
デジャブーでしょうか・・・・。

その後、蒲郡の友人が見に来てくれて、堤防でしばらく話し込みました。
風が吹き抜けて寒いはずいなのに、感覚が麻痺したかのようにまったく寒さを感じなかった。
こんな「とき」が、ぼくは好きなのです。
それにあらためて、気づくのでした。

海に感謝。
友人に感謝。
ぼくの心が解けていくのを支えてくれている「すべて」に・・・・感謝。

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by hwindlife | 2008-01-14 23:09 | カイトボーディング  

夜にみる「夢」

ウィンドサーフィンに没頭しているとき、眠っているときよくみた「ゆめ」があります。
風が吹いている「ところ」を探して、あっちへいったりこっちへいったりしている夢です。
いつも場所はちがうけれど、海辺を彷徨しています。
風が吹いているビーチにたどり着けば、気が逸り、そして急いで準備します。
「ゆめ」はそこまで・・・・です。
つまり・・・・風を探す「ゆめ」なのです。
「ゆめ」の中でどれくらい車を走らせたことでしょう。
たくさんの知らないビーチに行きました。
時には山を越えて、時には複雑な狭い海岸線の道を迷いながら・・・・・。
そしてその「ゆめ」では実現しないことがありました。
それは、けっしてウィンドサーフィンをすることができないのです。
どんないいコンディションのビーチに辿りついたとしても、「ゆめ」はそこまでです。
そんな「ゆめ」を10年以上、ぼくを見続けていました。
ぼくはそれが何を意味しているのか、ずっと解らずにいます・・・。

先週末、ぼくは再び同じような「ゆめ」を見ました。
風を探して、山奥の湖に向かっています。
そしてそれは「ウィンドサーフィン」が目的ではなく、カイトサーフィンです。
最初の湖はいい風が吹いているのに、湖といえないほど小さく、カイトには不向きでした。
ぼくは次の湖に向かいます。
狭い山道をくねくねと進むと、山間に広く開けた湖が・・・・・・。
風は・・・ゆめの中ですから、いい風です。
いや・・・精神状態がいいから・・・・いい風なのかもしれません。
ぼくはカイトを知らぬ間にセッティングして、湖にでます。
なんとぼくは、その湖をカイトで気持ちよくはしりはじめます。
ターンでは大きくカイトを振り、少しジャンプしてランディング。
気持ちのいいプレーニングが続きます。
胸がすくような、気持ちがいい「体験」でした。
いままでの「ゆめ」では決してなかった経験なのです。

あきらかに今までとは違う「ゆめ」。
これも何を意味しているのか、ぼくにはわかりません。
ぼくの中の何か変わり始めていると、そう思ってもいいのでしょうか。
それにしてもなんだか寝起きがすっきりとし、また見たい「ゆめ」ではあります。

今日も枕の下に、カイトの雑誌をはさんで眠ってみようと思っています・・・・。

by hwindlife | 2008-01-13 08:27 | 好きなこと大切なこと