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カテゴリ:自然について( 21 )

 

波切漁港 田中料理店

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先週金曜日から、クライアントのセーリングクルーザーでのレッスンで三重県、志摩方面へクルージングレッスンにでかけた。二日目は大雨に加えて、風が25m以上吹き、前日に停泊した波切漁港の沖は、壮絶な状況になっていた。波はゆうに5mを超え、大きなうねりはマストの高さ近くに感じた。そんな中、5マイル北の的矢に移動した。漁船も一艘もでない状況。こんなシチュエーションで海に出るのは無謀とと言われてもしかだがない。しかしながら、いくつかの理由で、波切を後にした。
レッスンとは言え、命をかけることはない。クライアントは船内に入ってもらい、一人で操船する。最小のセイルセット。左後ろからのブロードリーチ。波はサイドから。強いブローに船は風上に切りあがろうとし、ぼくはそれを舵で必死に抑え込む。切りあがると、波に打たれる可能性があるので、斜め下に降りてゆくしかない。波のトップから、10m近くのボトムに向かって、少し舵がストールしながら落ちてゆく。ボトムに着くと、ヨットのバウは水面下2mくらい潜り、その波はデッキを覆って舵を持つ僕を、船から押し出そうと当たってくる。もちろん全身、頭からつま先まで海に飛び込んだのと同じ状態・・・。
二時間後、穏やかな湾に逃げ込んだ・・・。

波切漁港の近くには、美味しい料理店がある。
「田中料理店」
そこの停泊すると、いつもそこで食事をする。
ここの名物は、「鰹茶漬け」。はじめはそのまま漬け丼で食べて、その後茶漬けにする。
また、ここは、大皿料理がカウンターいっぱいに置いてある。
「カサゴの煮つけ」「牡蠣」「タコ煮」「ウツボの唐揚げ」「豚の角煮」「なすのマリネ」
沢山、頂いた。
おかみさんの笑顔も素敵だった。

海は厳しい。
でも、訪れる港は、癒される場所が多い。
食べ物がおいしい場所も多いのだ。
だからまた、海に出てゆける。

by hwindlife | 2011-11-22 10:40 | 自然について  

北海道 富良野の旅

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by hwindlife | 2011-11-07 22:21 | 自然について  

サンセット

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マリーナの横にあるビーチは、西に向かって水際が伸びる。
冬のこの時期、太陽はこのビーチラインの先に落ちる。
でも冬は秋と違い、なかなかいい色合いのサンセットになることは少ない。
自然の、いろんな状況がそうさせているのだろうけれど、静かにそれを
眺める余裕も、こちらにもないことは確かだ・・・。

先日、船の整備をして、少しテストで海に出た帰り。
マリーナ全体がなんだかオレンジ色に覆われているような気がした。
なんだか暖かな雰囲気すらする。
実際は、7度とかで、寒いには違いないけれど。
車に寄る前に、ビーチに出てみたくなった。
ちょうど太陽は、あと少しで沈むところ。
落ちる太陽は早く、もうほんの数分のところだった。
穏やかなビーチにオレンジ色がはえて、綺麗だった。
そしてなにより、雲が、冬の重い色と暖色オレンジが混ざり、美しかった。

しばらく海と、空と、暗くなってゆくビーチを見ていた。
不思議だ。
毎日、確実に起こることに、いちいち感動する。
確かに「起こる」が、でもそれは、今日のそれと同じものが二度となくて
だからなのか、心が震える。
それとも、今日見ているこれが、自分の人生にとって最後かもしれないかもしれないことを
どこかで、さみしく、予感するからだろうか・・・・。

by hwindlife | 2011-02-12 00:13 | 自然について  

試される意味

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波の頭は、飛沫となって風下へ飛び散っている。
そこから5M、いや10M下に、波の「底」が見える。
「底」にいるとき、風を感ぜず、一瞬の隙がある。
視界は波に閉ざされ、大きな海の中にいることを、少しだけ忘れる。
次の瞬間、船は波の斜面を斜めにあがり、そして再び波の頭へ。
急に強い風に船は大きく傾き、風上に切りあがる。
リギンがギシッと鈍い音を立てる。
風下へ舵をとり、再び波の斜面を、「底」に向かって滑り落ちる。
そして一瞬の間・・・。
再び波の斜面を、張りつめた緊迫の「頭」に向かってのぼる。

そんなことをどれくらい繰り返しているだろう。
台風と前線の狭間に迷い込んだヨットは、歩くよりも遅い速度で
目的地の方向へ、にじりよっていこうとしていた。
確かに疲れる。
強風の風上へ「のぼる」のは、確かに、気力を消耗する。
これより、厳しい状況に身をおいたことはあるのだ。
自分の経験値の範囲ではあるが、確かに疲れる・・・・・。
天候の予測は間違っていなかった。
しかしながら、ある不可抗力によって、数時間失った。
それがいま、この状況に身を置く、直接的理由だ。
「不可抗力」すら、予測し、そしてこんな嵐に出会わないマージンを
必ず確保しなければ「旅」に出られないなら、そんなのは意味がない・・・とさえ思う。
ここに身を置く理由は、ここで自分がどう振る舞うかを、自分が経験したいからだ。
海に、嵐に、試されているのではない。

でも今日はひとりではなかった。
同乗者がいる。
それを含めた「振る舞い」が必要だ。
ぼくは風上を睨んだ。
今向かう先は、もう少し荒れている。
海の色は黒く、空もまた同様で、にらみ返されたように感じた。
ぼくは風下を眺めた。
今来た「みち」だ。
背中で風を受けると、気持ち、穏やかになったかのように感じる。
再び、風上に目を移してすぐに決心した。
戻ろう・・・風下へ。
すぐに舵をスタボードサイドに大きく切り、波間を下り始めた・・・・。

追いつめられると、どんどんと冷静になってゆく自分がいる。
もちろん、動揺し、緊張して、しびれることだってあるわけだが
多くの場合、ぼくはどんどん、クールになってゆく。
自然は怖ろしい。
あんな平らな海面が、ひとたび荒れると、見たこともないような小山の連続となり
それはそこにじっとするのではなく、勢いよく動き、迫ってくるのだ。
じゃあ、ぼくはそこで、どうする?
風上だ、風下だ、メインを出せ、引け、波間を下れ、斜めにのぼれ・・・。
やがてそれは自分の中でリズムとなり、脊髄反応になって、怖れの意識は遠のき
無意識の、まるで瞑想ののような状態になる。
一種のトランス状態・・・。

逃げたわけじゃないし・・・と自分に言い聞かせる。
風下へ向かったのは、確かに正しい判断だったはずだ。
いくつかの判断・・というより、「動作」の一環で、風下ゆきになったのだ。
だから、しばらく下った風の遮られた湾に入り込んだ時も、「負けた」感はなかった。
むしろ、自然と「やりとり」した充実感があったのだ。

その夜、なぜがなかなか寝付けなかった。
あの風の音が、耳に残っていた。
波の斜面の様子が、目の奥に、残っていた。
逃げたわけじゃないし・・・もう一度口に出して、言ってみた・・・・。

by hwindlife | 2010-09-27 23:38 | 自然について  

瞬間の判断

自然と対峙するとき、ときに、クリティカルな判断を迫られることがある。
鮮明に記憶に残るのは、1983年の冬の北アルプス滝谷だ。
ソロでその谷を、厳冬期に下からつめて、稜線を奥穂高、ジャンダルム、西穂へと
継続クライミングするプランだった。
前半にその難所はある。
垂直な二番目の壁は、時折上部からの雪のシャワーに流されていた。
想定していたルートは、その壁を右にトラバースしてから直上するものだったが
そのときのシチュエーションでは、そのルートはいかにも「不合理的」すぎた。
直感的にそこを左上し、かなり上部になって上が開けてから、ぼくは右にクライムした。
左上するルートは、情報はなかった。
でも、右への進路に不安を感じて、そして迷う時間もなかった。
そんな場面での迷いは、ネガティブな思考を呼び起こすし、結果、よくないことが起こる。
迷ったら、撤退する。
それが自分の基準でもあった。
でも、そのとき、ぼくは迷わず「判断」した。
判断の基準はただ、自分のインスピレーション。

左へしばらく登ったころ、右の予定したルートが大きな雪のシャワーに強く流されているのを
目撃した。
直撃をくらっていたら、きっと下まで100mあまり飛ばされていたに違いない。
ちょっと「ゾクッ」としたが、そら、そうだろ・・・と思うしたたかな自分がいた。
早い判断をしたときに、あまり間違ったことがない・・・。
今、思い出しても、そうだったことが多いのだ。

先日、ヨットで三重県から蒲郡へのクルージング中。
大王崎沖で、急に風と波があがった。
ヨットは少し不安定な動きをしだした。
波によるロールが激しい。
こんなときのベストの対処は、セールを小さくして、波の腹を走らない角度で進む。
ただ、セールを小さくするには、船を風上に立てねばならず、そのタイミングでは
波を船の横から受ける。
結果、大きくロール、もしくはダウンする可能性もあると感じた。
瞬間、このままのフルセールで、左手の岩礁だけには気を付けてフルスピードで
波にまけない速度でこのエリアを突っ切る判断をした。

結果は、素早くその場所をくぐりぬけ、同乗者にも不安を抱かせることはなかった。
ぼくにその時、迷いがなかったことが、いい結果につながったと思っている。

さて、では、今まで間違った判断をしたことはなかったのか・・・・。
いや、情けないが、たくさん、ある・・・。
そのために、大事故になったことも。
友人すら失ったこともある。
後悔の「やま」だ。
やはり、そんなとき、ぼくは判断する前に、かなり迷っていた。
迷いに迷った判断は、精度が落ちる。
そしてなにより、迷っているうちに、その選択肢がどんどんと減っていくのだ。
結果、出来ることは限られ、追いつめられる。

「迷ったら、すぐにやめる。
直感的に判断できたら、自信を持って進む。」

ぼくは自分に、あらためてそう、言い聞かせる。
自然は、人間に、そう甘くはないのだ・・・・・。

by hwindlife | 2010-08-26 00:44 | 自然について  

「海」について

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今シーズン、多分、今までの人生で一番「海」に出た年です。
自分のための「海」だけでなく、それをスクールという形でも接した「海」・・・。
おかげで肌を露出したところは真っ黒で、「黒い」人が多いマリーナでも
「黒いねー!」と驚かれるほどです。
体にとって、皮膚にとって、この年齢ですからいいことは何もないのですが。
でも体はすこぶる元気です。
多くの海すきの人たちのエネルギーももらったし、何より、地元の海からいいパワーを
もらった気がします。

「海」には、とても多くの表情があることを、ぼくは今年再認識しました。
色、音、匂い、佇まい・・・・。
風や波は、海の表情を創り、それがまるで生きているかのような「意志」すら
感じるのです。

ぼくは海に着くとまずすることがあります。
風の向きを確認し、そして匂いを嗅ぎます。
海の色を見て、そして雲の流れを確認します。
そしてビーチから大きく海を俯瞰して、今日の海の「性質」を見極めるのです。
その時間が、ぼくはとても好きです。

スクール中も、もちろん海の状況に気を配っていますが、生徒さんのコンディションが
まずは第一です。

夕方、スクール生を送り出してから、ぼくはゆっくりと後片付けします。
夕方の海は、また朝とは全然違った表情をしています。
たいていの場合、日中強かった風も夕方にはいったん静かになります。
このビーチは、ビーチの端っこに太陽が沈んでゆくので、波打ち際がその残り陽に照らされて
とても綺麗です。
ぼくは片付けの手を休めて、この静かな時間を、独りっきりで味わうのが好きです。

多くの「海」の記憶があります。
そこに吹く「風」の記憶も、とてもクリアーです。
この「海」は、ずっとみんな、繋がってるんだと思うと不思議でもあるし、なるほどなとも
思います。
いろんな「海」にこれからも出会いたい。
また、ぼくの知っているいろんな海を、また誰かに伝えたい。
暮れてゆく海辺に立って、そんなことを考えている瞬間は、とても幸せです。

by hwindlife | 2009-11-10 22:48 | 自然について  

マジックアワー


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コメントを頂いて、あらためて思いだしました。
夕暮れ時、太陽が沈んで暗闇になるまでの、しばしの時間。
海の向こう、山の向こうに沈んだ太陽が、雲や空を下から照らし
そしてそれがオレンジから赤く燃え、そしてゆっくりと紺碧の帳にとけてゆく・・・・・。
ほんの短い時間だけれど、言葉に言い尽くせない「色」を演出してゆく大自然の様には
ただただ、見つめて感動するばかりです。
夕方、マジックアワーの10分程度を意識できた日は、なぜだか幸せな気分になります。

夕暮れのマジックアワーに比べれば少し地味ですが・・・・・。
夜明けの茜色も、ぼくはとても好きです。
数年前の春、ヨットででかけたぼくは鳥羽のある緑深い入り江に、船を舫っていました。
少し寒くて、目が覚めると外が何やら不思議な色合いをしています。
目ぼけた目をこすりながらデッキに出てみると・・・・・・東の空が見事な色に
染まっていました。
茜色?紫?言葉にしがたいその色は、時間とともに、どんどんと色をかえてゆきます。
海は空の鏡になって、ぼくの船まで同じ色に染めます。
素敵な光の中に、ぼくの船は浮かびます。
こんな色の海を、ぼくは見たことがありませんでした。

ピーンと張りつめた冷たい空気中、ぼくは言葉を失って見入っていました。
夜明け前の、ほんの10分ほどのマジックでした。

ぼくはあの、光を見たくて、またあそこへゆきたいと思っています。
二度と同じ光景は見られないでしょうけれど、また違った素晴らしいものを
見つけられるような気がするのです。

by hwindlife | 2009-04-02 00:25 | 自然について  

終の棲家

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老後をどこで暮らすか・・・・。
大台のの年齢を間近に控えたぼくにとっては、結構現実的な話です。
何年か前、海辺で暮せる場所を探して、この地方の海岸線の土地をくまなく
見て回ったこともありました。
旅先の長崎で、庭にヨットをとめておける環境のおうちを見て、こんなのもありだなって
思ったりもしました。

もちろん、山もありです。
ぼくの大好きな八ヶ岳の麓の蓼科あたりで暮らすも素敵です。
家の窓からずっと山が見えるのっていうのは、実は変化に富んでいて素敵なことを
ぼくは知っています。

二十代の頃、岩場で転落して骨折し、そのまま大町の病院へ担ぎ込まれたことがありました。
入院した部屋は大部屋でしたが、ぼくは運良く窓際のベッドで、そこからは後立山の山並みが
見渡せました。
毎日、見えるわけではありません。
雲に深く覆われ、まったく見えない日。
午前中はすっきりとしてずっと見渡せたのに、午後になって雲に覆われた日。
長く入院していたので、毎日その窓から、季節が移ってゆくのをずっと、眺めていました。
骨盤も足首も折れていて動けなくても、窓の外に見える、見えるはずの山並みに
ぼくは退屈しませんでした。

だから・・・・窓から山が、海が見える場所がいい。
そして季節を感じることができる場所。

バンクーバーで出会ったヨットのインストラクターは、世界中を巡って
そしてこのカナダが自分の終の棲家だと悟ったといいました。
カナダがいかに住みやすいか、素敵な場所か、彼は熱く語ってくれました。
でも・・・・なんだか生まれた故郷を離れている寂しさを、ぼくはそこに少しだけ感じました。

ぼくは日本がいいな・・・といえるほど、ぼくは世界を知りません。
だからこれからの人生、旅も大事です。
別に終の棲家を探す旅でなくても、多くのいろんな自然や文化に接して、自分のありかたや
身のおき方を認識もしたいのです。
行きたい場所はたくさんあります。
そこでしたいことも・・・・・・たくさんありすぎます。

人生が短すぎて残念です・・・・。

by hwindlife | 2008-10-14 22:30 | 自然について  

梅雨明けの風

梅雨が明けてしばらく・・・。
最近毎晩、裏庭(・・・といっても猫の額ほど)に作ったテラスで夜空を眺めるのが習慣です。
よく眠れるというブレンドされたハーブティーを持って、自分で作ったウッドデッキの上で
星を見るのです。
ウッドデッキなどというと恥ずかしいほどの、押入れの下に敷く「ざら板」みたいなものですが・・。

梅雨が明けても、日中は相変わらず暑い。
でも、日付が変わるころの深夜は、ずいぶんと空気が乾いているように感じます。
特にここ数日、深夜、西よりの風が動いて「ざら板」の上に座ってお茶を飲むのは
とてもいい気分です。
確かに温度は高いけれど、夏の匂いのする乾いた風。
そして、夜空には夏の星座。
この梅雨明けのしばらくの期間が、ぼくは昔から好きでした。

梅雨明け十日・・・・といいます。
これは山やの間で、この期間は快適な天気が続き、絶好の登山日和が来ると言われていました。
確かにこの時期は、山でも天気が安定します。
どんなにいい天気の夏の日でも、夜になると雲が多くなってしまうことが多いのですが
この時期は夜の空も澄み渡り、星が煌きます。
夏の星をみるなら、今、山の上へゆくのがベストなのです。

梅雨明けの風が気持ちいい。
ハーブティーの香りも心を解します。
今年は少し高い山に登ってみますか・・・・・。
お盆あたりだと、夜、雲が出てしまうかもしれないけれど、運がよければ満天の星。
3000Mのどこか、お気楽なピーク近くにビバークでもしようかな・・・・・。
そう・・・甥っ子と何年か前に登った西穂高岳が手ごろかもしれません。
最近、海ばっかしですから、久しぶりの山は新鮮かも・・・・・。

なんだか「山」が恋しい夜です・・・・・。

by hwindlife | 2008-07-22 23:22 | 自然について  

ザイルのコイル

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登山の世界では、登攀用ロープを「ザイル」と呼ぶことがあります。
ヨーロッパアルプスでは「ザイル」です。
ヨーロッパ・アルプスで進化していったクライミングの形式は「アルパイン・スタイル」と
呼ばれていますが、その影響を色濃く受けた日本の登山シーンではロープはザイルなのです。
それでも最近の日本のフリークライミングのシーンでは「ロープ」と呼ばれることが多く
ぼくにはちょっと違和感があります。
ぼくはヨーロッパアルプスに憧れ、そしてアルパイン・スタイルがまだ世界の中心だった頃の
クライマーでしたから、「ロープ」は「ザイル」です。
でもそれはクライミングシーンのとき・・・・・。

ヨットの世界でも同じように「ロープ」をたくさん使います。
ヨットの世界では「ロープ」を「シート」と呼ぶことが多いようです。
ジブセイルに使う「ジブ・シート」。メインセイルをコントロールする「メイン・シート」。
いろんなセイルを揚げたり下げたりしますから、セイリング中のヨットの上はシートでいっぱいです。
きっとその光景は、同じ船乗りであってもボート乗りだと、戸惑うほどです。
そしてセイリングから帰ると仕事が待っています。
使った多くのシートをまとめること。
ループ状にしたり、振り分けてまとめたりと方法はいろいろですが、その行為を「コイルする」
と呼んでいます。
シートのコイル・・・これがすばやくきれいにできる奴は、海ができるヤツです。

クライミングシーンでも何度もザイルのコイルをしました。
登りつめたニードル状の岩の上でザイルをコイルするとき、それは達成感と喪失感の
ハザマにいて、気持ちの高揚と失望とをいったりきたりします。
ザイルをコイルするその行為で、このクライミングに区切りをつけます。
ザイルのコイルには、そんな揺れる気持ちの記憶があります。

独りヨットを沖に出し、そして使わないシートをコイルしているとき、ふとクライミング時代を
思い出すことがあります。
ぼくはザイル・・・ロープに縁があるんだな・・・そう思います。

30年くらい昔、ガストンレビュファというフランスの山岳ガイドのドキュメンタリー映画を
見ました
山にのめりこみはじめた頃のこと。。
「星にのばされたザイル」という映画。
すばらしいシーンの連続でした。
彼がシャモニ針峰群のひとつの狭い山頂で、ザイルをコイルするシーンがありました。
ぼくはそれに・・・・シビれました。
そしてそれから深く、深く、クライミングにはまっていったのでした。

by hwindlife | 2008-05-22 22:16 | 自然について