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カナシイ習性

ぼくにはちょっとした癖・・・というか習性があります。
車で走っていて、ちょっとした橋を渡るとき、その川を凝視し、吟味してしまうこと・・・・。
川の水の水量、川岸から川へアプローチ、きれいな水かどうか・・・・・。
車がそこを通過する瞬間に、ぼくは覗き込むように「川」を吟味するのです。
そこが、彼女が遊ぶのに、適しているかどうか判断するために・・・・。

ぼくはいつものように、いつもの道を海に向かっていました。
この道は何度も、小さな川を越えてゆきます。
そしてあらためて、ふと気がつきました。
通いなれたこの道でも、ぼくは「川」が現れるたび、そこを覗き込んでいることに。
そして急に寂しくなりました。
もうそこへ、連れて行ってあげられる「彼女」もいないのです。
なんともカナシイ習性・・・・・・。

彼女が逝ってもう百ケ日もとうに過ぎました。
心の中にはまださくらは住んでいて、折に触れ思い出し、寂しくなります。
そして思うのです。
もっと好きな川へ連れて行ってあげればよかった。
もっと、もっと、散歩に連れて行ってあげればよかった。
もっと、ブラッシングもして、洗ってもあげて、もっともっと撫でてあげればよかった・・・・。
もっと、もっと・・・・・・。
彼女はずいぶん長い時間、いろんなことを「待って」いたに違いありません。

蒲郡市内のある川を覗き込んだとき、そこには一度も連れていかなかったことを思い出し
胸が急に痛み、哀しく、涙が零れそうになりました。
悔いても、もう時間は巻き戻せないのです。
この「悔い」を癒せるのは、「あきらめ」や「わりきり」しかないのでしょうか。
そうだとすれば、それもまた哀しいものです。

時間は流れてゆきます。
何もしなくても、過ぎてゆくのです。
瞬間を生きたい、輝かせたい、などと思いながら、結局流れている自分がいます。
そして、また、やれなかったことに悔いるのです。
相手がいることについては、特にそれは顕著です。
子供たちへの接し方についてもそうでしょう。
いつでも相手ができる・・・などと思っていれば、思わぬうちに子供たちは成長して
父親として接する「大切な期間」を逸してしまうかもしれません。

ゆっくりと生きたい・・・・と思います。
その一方で、瞬間を大切にした生き方をしたい・・・・そうも思います。
そのバランスが難しいな・・・。

ぼくのカナシイ習性は、ずっと続くでしょう。
それでいいと思います。
その何度かに一度、ぼくはさくらを思い出します。

だから、このままで・・・・・・・。

by hwindlife | 2008-11-17 01:17 | 好きなこと大切なこと  

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