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30年の時間

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ぼくは今、約30歳年下の青年にカイトボーディングを教え、伝えています。
体育会系的性格ですが、スリムでしっかりとした青年です。
プライベートレッスンになることもあり、カイトを教えながらいろんな話もします。
彼は将来の夢を語り、ぼくはそれを聞いて、息子を想う気持ちで見守りたいとも思い
また、自分の30年前も思い出したりもするのです。
だから彼のレッスンの日は、なんだか楽しみでもあります。

彼の年齢の頃、ぼくは白い霞の中にいました。
なにか見えそうで見えない、つかめそうでつかめない、そんなジレンマの真っ只中でした。
大学を卒業して、社会に出てゆくことにどうしても実感がわかず、そして怖れてもいました。
自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと・・・・・・。
じゃあ自分っていったいなんだ?・・・・・・。
もちろん答えは出ず、出口のないスパイラルの思考は、いつも心を憂鬱にしていました。
学校に失望していました。
周りの「大人」に失望していました。
そんなときに出会ったクライミング。
ぼくはそこへ突き進むしか道はない・・・・・そう思わざるえない状況がそこにありました。

彼は負けず嫌いです。
自分に、そしてきっと人にも。
うまくボードをコントロールできないと、とても悔しそうで、何度も何度も冷たい海に入ります。
ぼくは彼に、細かくは動作の指示をせず、どう感性と体のバランスを簡潔につたえたらいいか
考えながら、彼が、彼の体がそれに気づくのを辛抱強く見守っています。
もう、海の上を走れています。
一瞬のあの「快感」をもう彼は知っているし、だからいま少し苦しくてもくじけないでしょう。
そんな前向きな彼を見ていると、暖かな気持ちになってきます。
彼はきっとこの冬、限られた人にしかいけない「ゾーン」に必ず入るはずです。

若き日のぼくもずいぶんと負けず嫌いでした。
そんなに才能に恵まれたわけではないので、努力しか伸びる道がないことはわかっていました。
でも、なんだかクライミングはぼくの感性にぴったりとハマり、好きで好きでしょうがなかった。
好きこそものの・・・・という格言は正しく、時間を忘れて・・・というかすべての時間をそれに
かけて、ぼくはのめり込みました。
バイトもトレーニングも食事も、そして近所を歩くことすらも、すべてクライミングのためでした。
山にいけない日は、公園の石垣を登り、ジムには常連になって懸垂の回数を競いました。
50回の懸垂などたやすく、指一歩ですら懸垂できたほどです。
夜は防寒訓練だと称して、家のベランダで着の身、着のままで眠ったりしました。
母親に何度、止められたことか・・・・。
好きだ・・・・ということはとてつもないエネルギーを生み出すものです。

スキーもウィンドも、ヨットもカイトも「好き」が原動力となり、時間をそれに捧げることによって
才能をカバーしてきたのでした。

負けず嫌いだけでは、きっと続きません。
「好き」が一番、大きな支えです。
ぼくは若き彼に、カイトをそして海を好きになってもらいたい。
そうすれば、技術はほんの少しの躓いたときのアドバイスだけでクリアーできるはずです。

そして今のぼくです。
少なくとも、30歳歳の離れた彼にお手本を示さねばなりません。
技術も、海に向かう姿勢も、そして「好き」な度合いも・・・・。
30年間、あまりやっていることは変わっていません。
確実に衰えた体や、少し弱気になった心はどうしようもないけれど、「好き」な気持ちは
対象は変われど、根本は同じまま・・・・なはずです。
だから自分はまだ大丈夫・・・・・・。
そう、自分に言い聞かせます。

この冬、ぼくもまだ成長します。

by hwindlife | 2008-11-11 00:18 | カイトボーディング  

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