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トレイル・ランニング

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ほんとうは少し風が吹くので、カイトをしに海に行きたかった・・・。
でも少しだけ風邪が残っていて、あと一週間だけがまんすることにしました。

暖かな週末、じっとしていることが苦しくて長年のなじみの公園に向かいました。
ぼくは軽く、走ることにしました。
この緑地公園には森の中を縫うように、細い「トレイル」が続いています。
ぼくはそれを繋いで、公園を回ることにしました。

少し走れば、アップダウンのある道ですから、すぐに息があがってきます。
苦しくなれば無理をせず歩き、そして呼吸が戻ればまた走り出す・・・。
あくまで自分の体にペースを合わせて走ることにします。
鍛えたい・・・でもそれよりも体を動かすことを楽しみたい。

森の中の道は、落ち葉の絨毯がしかれていて、痛めた足にも優しい。
昼過ぎだというのに、もう低い位置にある太陽の光が、木々の間をすりぬけて
落ち葉の道をシマシマにしています。
森の中の色は多彩で、走り抜けてしまうのが惜しいほどです。
息が苦しくなれば止まり、綺麗な落ち葉の陽だまりがあれば止まり・・・・・。
ゆっくりとしたぼくの「トレイルランニング」は続きます。

ずいぶん昔、「トレイル・ランニング」などという競技も言葉もなかったころ
トレーニングの一環として、軽装で山道を走っていたことがありました。
鈴鹿山脈の登山道を、小さなザックに水と行動食だけ入れて、足元はランニングシューズで
走りながら登ります。
心拍数はすぐにあがり、そのうち体内へ取り込む酸素の量が少なくなり
体全体が軽い酸欠状態になってきます。
頭が少しボォッとして、指先がピリピリとしてくるのです。
少し立ち止まれば、それも回復して、そしてまた走る・・・・。
ヒマラヤでの高度による酸欠状態を再現したかったのです。
下りでは、瞬間の足の置き場の判断が要求されます。
瞬時に判断し、正しいスタンスに足を運び、飛ぶように下ります。
そんな「目」を養うのです。
鈴鹿山脈は、あのころ、ぼくたちの格好のトレーニング・フィールドでした。
自在に山を走り回り、自分にとってどんどん「山」が身近になっていくことも
ぼくは嬉しかった。

もう今は、ヒマラヤに対応する心肺能力は必要ありません。
それでも、森のトレイルを少し走れば、肺いっぱいに森の乾いた空気を吸い込み
それが体に沁みていくのを感じることが、今は嬉しい。
自分のペースで走ろう。
ぼくはほっとけば、前に、上に行きたがる性格です。
だから目標の距離とか、タイムとかなんて決めずに、体がくたびれたらやめる。
走りたかったら、満足するまで走る。
自分の体と、本心の心の「欲求」をちゃんと聞いてあげて、走りたいのです。

ドングリが一面に敷かれたように落ちている三叉路に来ました。
どの木から落ちたのか、周りを見渡すと、大きなドングリの木が頭上に茂っていました。
この木は随分長生きのようです。
ひょっとしたらぼくの小さいころから、ずっとここにいたのかもしれません。
ぼくは幼いころ、見たことがあるかもしれない。
なんだか懐かしい思いでしばらく見つめ、ぼくは明るい光が見えるほうへ、また走り出しました。

by hwindlife | 2007-12-04 00:50 | 自然について  

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